こんなところに93同期!?【第1回】福井直昭君 – 慶應義塾1993年三田会

こんなところに93同期!?【第1回】福井直昭君

こんなところに93同期!?

【 第1回 】福井直昭君

福井直昭
学校法人武蔵野音楽学園理事
武蔵野音楽大学 副学長・図書館楽器博物館館長・教授(ピアノ)
ピアニスト
福井 直昭

1970年東京生まれ。1993年経済学部卒業。E.トゥシャ教授に師事し、1995年武蔵野音楽大学大学院をピアノ専攻最優秀の「クロイツァー賞」を受賞して修了。1998年から2年間日本を離れ、ミュンヘン国立音楽大学において更に研鑽。1999年ブルガリア国際コンクール「Music and Earth」でソリスト部門第1位、審査員全員一致で全部門グランプリ大賞受賞。日本を代表するソリストの一人。

 学生時代は?

 
物心つく頃からピアノを毎日練習。


(幼稚舎・自尊館にて)

「父方は代々音楽家の家系だったので、ピアノは物心つく頃から弾いていました。

ただ、両親は僕を音楽系の高校に入れることなどは考えなくて、慶應の幼稚舎を受験させた。今になって思うのは、両親は僕を純粋なピアニストとしてだけ育てようとは考えていなかったのだと。慶應に通わせることで、音楽以外の世界を見たり、様々な友人との交流も持たせたいと願ったのではないでしょうか。もしくは、受験勉強から解放される分、むしろピアノに集中させる環境におこうと考えていたのかも(笑)。

幼稚舎時代の担任の先生(現・大島幼稚舎長)は僕たちが最初の受け持ちで、卒業後もずっと見守ってくださり、僕のコンサートにも毎回来てくださっています。」

塾高入学後も成績トップ。将来の選択肢としては医者も?!


(塾高の卒業アルバムより)

「子供の頃から、ピアノは本当に一生懸命頑張りました。修学旅行やクラブの合宿以外はどんな1日でも必ず練習していました。

でも、学校の勉強も一切手を抜かずに頑張りました。実際に、塾高でも入学した前期の成績は約860人中トップだったので、進路相談の先生から『お前なら医学部にも行ける』と太鼓判を押されていました。」


(塾高の卒業アルバムより)

自分で進路を決めたと今でも思えるのは、慶應義塾に通ったお陰

「両親から音楽の道に進め、と言われたことは一度もありません。『音楽家になりたくなかったら、ならなくてもいいよ。』とさえ言われたくらいです。

実際、慶應の医学部に進学して、医者になる選択肢もあったわけですが、当時思ったのは医者になるのは自分じゃなくても世の中に替わりの人はたくさんいる。しかし、曽祖父が創立した武蔵野音楽大学を、私心でなく本当の意味で責任感をもって引っ張っていけるのは、自分しかいない。武蔵野音楽大学を未来にむけて発展させていきたい。自然とそう思えるようになったのです。

でも幼稚舎以来、普通部、塾高と慶應とその友人たちが大好きだったので、大学までは慶應にいくことにしました。僕を知ってる人はきっと分かると思いますが、16年間の慶應生活における多様な場での体験・学びが、主には遊んだことですが(笑)、福井直昭という人間を形成してくれました。

そして、現在に至る自分の進路は自分で決めた、そう今思えていることがとても大切で、いろいろな意味で、慶應義塾に通わせてもらえたのは本当に感謝しています。」


(大学の卒業アルバムより)

 大学卒業後は?

 
武蔵野音楽大学の大学院(ピアノ専攻)に進学し、首席で卒業。

「1993年に慶応大学経済学部を卒業した後は、武蔵野音楽大学の大学院に進学しました。

大学時代の同級生のほとんどみんなが就職を決めていく中、僕は音楽大学の大学院に合格するためにピアノを必死で練習していたわけです。時間もあったし、あの頃が人生の中で一番練習した時期かもしれません。その後、1995年に武蔵野音楽大学大学院をピアノ専攻最優秀の「クロイツァー賞」を受賞して修了しました。

また、1998年から2年間日本を離れ、ミュンヘン国立音楽大学に留学してピアノの研鑽を重ねました。日本に帰国してからは、武蔵野音楽大学の学生にピアノ指導を続けつつ、学校法人の経営にも徐々に参画し、一人の演奏家としても積極的に活動してまいりました。毎回のコンサートに多くの慶應時代の友人がきてくれるのは、実は本当に嬉しいんですよ。」

 現 在 は?

 
3つの顔「学校経営者・教授・ピアニスト」

「現在、学校法人武蔵野音楽学園の理事と大学の副学長をしています。

また、図書館・楽器博物館の館長でもあり、ピアノ専攻の教授として週に15-16コマのレッスンも受け持っています。特にピアノのレッスンは、大人数の授業と違って1対1の個人レッスンです。教える側も教えられる側も一時も気が抜けず、気力も体力も消耗しますね。一人の音楽家を世に送り出すわけですから、いつも真剣勝負です。

それ以外の時間には、経営陣・教員・事務職員との会議、企業等との打ち合わせ、各種学外の会議、来賓の応接、メディアの取材対応など分刻みの仕事をこなしています。心身が元気で満足のいくピアノの練習時間の確保は極めて困難ですが(笑)、でも経営・教育・演奏の3つは互いに自分の中で相高めあうと確信しているからこそ、毎日気力を振り絞り頑張っています。」

ソリスト以外にも活動の幅は多岐にわたる

「ひとりのピアニストとしてリサイタルも定期的に開催しています。

CDはこれまでにソロ、協奏曲、室内楽のCDをフンガロトン他のレーベルより4枚リリースしました。最新のケマル・ゲキチとのライブ公演も特別収録した2013年リリースのソロ・アルバム「ヴィルトゥオジテ」(ALM)は「レコード芸術」特選盤にも選出されました。

また演奏活動の他、国際コンクールの審査員や演奏会のプロデュース、執筆、メディア出演等、活動の幅は本当に多岐にわたっています。」

江古田新キャンパス竣工記念特別演奏会(2017/6/30)を開催します。

「今年(2017年)4月にグランドオープンした武蔵野音楽大学江古田新キャンパスの竣工記念特別演奏会を開催いたします。あのケマル・ゲキチとのデュオ・リサイタルです。

今までゲキチ氏とは、大学と一切関係なく外部の主催で共演して参りましたが、今回は私が約6年間心血を注ぎつづけた大学の新キャンパスプロジェクトが完遂したため、全面建て替えの中で唯一保存・改修された“日本初の本格的なコンサートホール”ベートーヴェンホールで開催します。」
 

 
【 詳しいご案内ページ 】

「実は特別席を大ホールのステージに増席せざるを得ないほど大好評で、残席も僅かになって参りましたが、この機会にぜひ、93同期のみなさんにもたくさんお越しいただければ嬉しいです。」

【 これからは? 】

 
大学キャンパスの枠を超えた「音楽の街」に

「今年(2017年)1月に竣工した江古田新キャンパスは、通常の大学キャンパスの枠を超えた『音楽の街』とも呼べる、画期的な都市型キャンパスです。

6つのホール等による総合的な音楽環境が整っており、スタイリッシュなデザインと豊かな機能性を併せ持っていると自負しています。キャンパス内のすべてのデザインには「わけ」があり、そこから創出された空間には「感動」があります。21世紀を生き続ける全く新しいキャンパスの創造です。


(朝日新聞2017年6月10日朝刊より)

2019年度に創立90周年を迎えるにあたり掲げたスローガン『伝統と先進の和(ハーモニー)』を具象化し、ますますたくさんの魅力ある音楽家を世に送り出していけたらと願っています。」


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雑誌「モーストリークラシック」2017年8月号より
 

1993年三田会では幼稚舎代表幹事も

「あと、『1993年三田会 卒業25年記念事業』では幼稚舎代表幹事を務めさせていただくことになりました。微力ではありますが、慶應義塾への恩返しの気持ちも含め、少しでも多くの同級生たちが集まり、旧交を温め、絆を深めていけるよう私も尽力させて頂きます。」

【編集後記】

素晴らしい新キャンパスで、まさに分刻みの超人的な仕事をこなす福井君。今回の取材のために貴重な時間を割いていただいた。彼は、すべての仕事を片付けて自宅に帰り、子供の寝顔を見届けた後、ようやく一人のピアニストとしての練習を夜中に行っているという。 家柄にも才能にも恵まれ、一見華麗な日々を送っているように見える彼は「天才とは1%のひらめきと99%の努力」という名言を地で行く努力の人であった。(取材・編集:馬場雅敬)

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