同窓会企画へつながる想い – 慶應義塾1993年三田会

同窓会企画へつながる想い

ボイス・声

いよいよ5月13日の「キックオフ同窓会」まで

2週間を切りました。

主催者の一員として、

同窓会企画へつながる想いをつづってみましたので

お時間がある方はお読みいただければ幸いです。

長文かつ、つたない文章ですがお許し下さい。

後藤壱(ごとう はじめ)と言います。

後藤壱(ごとう はじめ)と言います。

1989年に文学部に入学しました。

専攻は人間科学です。

應援指導部↓でした。


(写真左から2番目が私です。)

應援指導部に入部し、

4年目には主将を務めましたので、

「見たことある」

という方もいるかも知れません。

「なんで應援指導部に入ったの?」

「なんで應援指導部に入ったの?」

と良く聞かれます。

正直に言って、

「絶対にこの部に入る」という強い意志が

あったわけではありませんでした。

様々な偶然が重なって入部したのですが、

今回、卒業25周年を前にして

語ろうかなと思いました。

入部のバックグラウンドと、

今回のキックオフ同窓会への想いは、

自分の中ではつながりがあります。

多くの方がそうであるように、

昭和天皇が崩御された、

平成元年4月が 大学入学の年でした。

千葉県出身です。

出身高校は千葉県立千葉高校。

千葉の「御三家」と言われた学校で、

同窓生は、現浪合わせ、

二桁以上は慶應に入学したはずです。

当時は東大にも60名前後合格していました。

でも、苦楽を共にしたバスケ部の連中や、

クラスの仲間など近しい人たちは、

現役慶應入学しませんでした。

むしろ補欠から繰り上がった私が

現役入学のレアケースでした。

「なぜ(クラス成績で下位の)お前が現役か」と

やっかまれたことを記憶していますが、

より上位のみんなは、浪人してでも、

東大・京大・一橋を目指していた

ということなのかも知れません。

そのようなこともあり、入学式と、

それに続く四日間の「オリエン期間」は、

特に友人と連れ合うこともなく、

一人さびしく?

下宿先にした祖母宅(三鷹市)と

日吉を往復していたのです。

暗い奴でした。。

この年の春の記憶は、天気も悪くはなく、

青空と日吉の緑、

たくさんの希望に溢れる新入生と、

サークルや部活の勧誘をする先輩たちで、

キャンパスは、それはそれは華やかで、

眩しかった。

その眩しさが、華やかであればあるほど、

逆にボクの心を沈ませました。

「こんな華やかな大学に、

果たして自分の居場所は見つかるのか。」

「自分は何者か。」

「どうやって四年間を過ごしたらいいのか。」

今思えば相当暗い奴ですね。

ただ当時の偽らざる心境です。

合格して希望に満ちている人がほとんどの中、

自分はまったくそうではありませんでした。

田舎ものでした。

千葉といえば東京の隣ではありますが、

物理的な距離が東京に近いだけで、

「千葉市」は大いなる「地方」の一都市です。

当時の自分の中での意識は完全に「田舎者」。

高校時代は、部活と教室と自宅の往復で、

東京に出たことは

1、2回しかありませんでしたから。

そのうち一回は、武道館での、

おにゃん子くらぶの解散コンサート!でした。

華やかなオリエン&サークル勧誘

華やかな日吉の中庭で、

連日色々なサークルの勧誘に

たくさん声をかけられましたが、

どれもこれも、

「楽しそうだけど、自分には相応しくない」

「華やかすぎて似合わない」。

無為に4日間が過ぎ焦燥感が募ります。

「このままでは、ボクは埋没してしまう・・・」

そしてオリエン最終日、本当に偶然にも、

学生服を着た應援指導部の先輩に

声をかけられました。

千葉高には「応援部・応援団」という

組織・部活が存在せず、

先入観はありませんでした。

あったら拒否していたことでしょう。

迷いがなかったわけではありません。

全身全霊をかけて、

熱心に説明をしてくれる人でした。

今思えば、

向こうも部員獲得で必死だっただけです。

迷いがなかったわけではありません。

説明の中身も、「授業最優先」など、

多分に「嘘」が含まれていました。

部員獲得には必要な「嘘」だったと思います。

大げさですが、オリエン4日目で

「決着」をつけなければいけないと

思っていました。

何より居場所も欲しかった。

「暗い自分が変わることができるかも知れない。」

流れに身を委ねる「覚悟」をしました。

やめようと思ったこともありましたが、

なぜかやめることができなかった。

よき友達、先輩、後輩

その後の4年間は、

怒涛のように流れていきました・・・。

結果的には5年間通いましたが、

居場所が見つかり、

自分に自信がついた大学生活に、

本当に感謝しています。

月並みですが、多くのよき友達、

先輩、後輩にも恵まれた。

そして何よりも、

人生のパートナーともここで出逢えましたから。

同級生それぞれの「想い」

同級生約6,000名にもそれぞれの

「想い」があったんだろうなと。

卒業25年目の今だからこそ、

皆さんにもお互いに色々と

語ってもらいたいと思います。

そんなことでこの

「キックオフ大同窓会」を企画してみました。

この企画を通じて、

一旦固定化していた私の人脈も、

新たな広がりを見せ始めました。

想い出のいっぱい詰まった場所へ、

みなさん是非来てみてください。

当日は限られた時間ですが、

当時のことをおおいに語り合いましょう!!

以上 / 後藤 壱
 

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