こんなところに93同期!?【第8回】谷口 伸君
【 第8回 】谷口 伸 君
声楽家、オペラ歌手
谷口 伸(たにぐち しん)
1969年 鳥取県鳥取市生まれ
1988年 鳥取県立鳥取東高等学校卒業
1993年 慶應義塾大学文学部卒業
1993年 株式会社NTTデータ入社、翌年退社
2002年 ウィーン国立音楽大学リート・オラトリオ科を最優秀で卒業。
2005年 ドイツ・ゲルリッツ市立劇場と専属契約
2010年 ドイツ・ツヴィッカウの劇場に移籍し専属契約
慶應在学中に毎日学生音楽コンクール東京大会で第2位。松尾葉子指揮オペラ『十五夜物語』で主役を務め、慶應義塾塾長賞を獲得。大学卒業後に一旦就職した大企業を辞めた後、数年を経てウィーン国立音楽大学に留学し最優秀で卒業 。2005年シーズンよりドイツ・ゲルリッツ市立劇場と専属契約を結び、ドイツを中心にヨーロッパで演奏活動を展開。2010年シーズンからはドイツ・ツヴィッカウの劇場に移り、現在、家族三人(ドイツ人の妻との間に1男)でドイツ在住。
【ツヴィッカウ劇場HP】
http://www.theater-plauen-zwickau.de/
生い立ちは?
(鳥取市立わかば保育園の頃)
「鳥取で生まれ、鳥取で育ちました。父母と私、妹・弟の5人家族。父は高校の教師でした。」
(中学生の頃・家族写真)
「近所に住んでいたバイオリンの先生からバイオリンを習っていました。中2まで。全然熱心じゃなかったですけど。ただ、そのお陰で楽譜が読めたりとか、音程が分かるとか、少しは役に立ったかも。」
「たまたま高校1年生の時、音楽の授業で僕の歌声が良かったみたいで。音楽の先生が僕に独唱コンクールに出てみないかと白羽の矢を立てたんです。それで、鳥取県の大会に出てみたら、優勝しちゃいまして。(笑)」
(瀧廉太郎記念 西日本高等学校声楽コンクール)
「その勢いで、大分県竹田市で毎年行われる『瀧廉太郎記念 西日本高等学校声楽コンクール(大分県竹田市)』にも鳥取県代表として出場させて頂いたりもしました。」
大学時代は?
(大学時代の教室で)
「鳥取県から上京した大学生のために鳥取県が用意した学生寮が、入学当時、船橋にありまして。そこから日吉まで通っていましたね。途中でその学生寮が移転したりして、一時期は成城にも住んでいました。」
(ワグネルの仲間と)
「大学に入ったら歌をやろうなんて特に決めてたわけじゃなかったんですけど。入学式の後、たまたま声を掛けられてワグネル男声合唱団の練習を見に行ったんです。そしたらもうビビッと来たというか、ここに入って歌をやってみようと。運命的な出会いでしたね。」
(定期演奏会)
「ワグネルの練習は週4回。幾つかの幼稚園の教室を借りて練習をしていました。幼稚園には必ずお遊戯用の大広間があり、それぞれの教室にもピアノがありますよね。全体練習を大広間でした後、各パートが教室ごとに分かれることができるので。われわれの練習にはぴったりなんですよ(笑)。良くも悪くもワグネルの仲間とは、ずっと一緒でしたし、よく練習もしました。」
(最後の定期演奏会で・バリトンのメンバーと)
「大学3年の時に、ワグネルの声楽パートの1つ・バリトンのパートリーダーになりまして。その頃、個人レッスンの先生について歌に磨きを掛けました。毎日学生音楽コンクール東京大会で第2位(音大以外からの入賞は異例) 。松尾葉子指揮オペラ『十五夜物語』では主役に抜擢され、慶應義塾塾長賞をいただきました。」
(右端・塾長賞受賞時に石川[当時]塾長らと)
(卒業アルバムより・本人不在)
「結構まじめなゼミでした。みんな仲良しでしたし、いまだに前後の学年の人たちとも交流があります。」
「そういえば、榊先生も含めてゼミのみんなでカラオケに行ったことがあるんですけど。そのとき、私の歌が上手過ぎたという信じられない(実際は宴会での態度が不遜だったという)理由で、榊先生から一度ゼミを放り出されそうになったことがあります。マジで。いまとなっては笑い話なんですけどね(笑)。」
卒業後は?
(サラリーマン時代の写真)
「NTTデータに入社して、国内金融機関向けのデータ通信やシステム構築事業を行う部門の営業担当をしていました。自社の業務に関する勉強も必死でしたし、社会人1年目の頃から残業で徹夜続きになることも多かったです。」
「当時、社会人として日々格闘する中で、歌への未練とも格闘していました。大学時代、僕が2位になった毎日学生音楽コンクールで優勝したのは、あの森麻季さん(現在日本オペラ界のスター)だったんですけど。実は優勝した彼女との差は、たった6ポイントだったと後から聞かされたのもあって。」
(サラリーマン時代の写真・本人が撮影)
「社会人2年目を迎えた頃には会社に辞表を提出し、プロの声楽家としての道を歩み始めました。」
(イメージ)
「会社を辞めてからは、歌の鍛錬を続けながら国内のコンクールを受けたりしていました。生活的には、河合楽器の渋谷店でアルバイトをしていたんですけど。なかなか芽が出ずに惰性に流されそうな時もありました。その間、いくつかのコンクールで賞を獲ったりもしていたのですが、何か焦ってみたり。」
「そんな私を見かねたのか、当時の店長さんから直言されたんです。物事に対する『姿勢』がなっていないんじゃないかと。もう頭を殴られたようにハッとしましたね。それからでしょうか、流れが変わってきたのは。大切な気付きを与えてくれたあの店長さんには今も感謝しています。」
「それから、あらためてウィーン国立音大を受験する決意をしました。当時、声楽の師匠にも見てはもらっていましたが、受験準備は基本独学でしました。」
(ウィーン国立音楽大学)
「どうすれば?どういう時に?最高の声が出せるかは、結局自分との対話でしかないからです。肉体と精神との対話なのです。受験資格年齢ぎりぎりだった1998年にウィーン国立音楽大学に合格できました。」
(ウィーン国立音楽大学での稽古風景・1999年頃)
「世界最高峰の音大で歌を学べる日々は最高でした。ただ、外国人の私にとっては、当初ドイツ語が最大の課題でした。日常生活はもとより、楽譜の読みや歌の基礎などすべてがドイツ語。」
「あと、2年生までにドイツ語中級を取らないと退学とのことでしたし。だから、当時は別の語学学校とも並行してドイツ語の習得に必死でした。これも今となっては笑い話ですけど、慶應大学時代、僕の第2外国語はフランス語でしたからね(笑)。」
(ウィーン時代の修作「フィガロの結婚」2000年頃)
「ドイツ語との格闘とかいろいろありましたけど。お蔭様で、ウィーン国立音楽大学リート・オラトリオ科を最優秀で卒業できました。」
「その後、日本の歌劇団での仕事も考えたのですが。2004年にイタリアの国際声楽コンクールで総合優勝したことも追い風となり。どうせなら、世界の舞台に立っていたいなと。」
プロ歌手としての日々は?
(「メリーウィドゥ」ダニロ役)
「2005年にドイツ・ゲルリッツ市立劇場と専属契約することができました。身分としては公務員です。給与としては、日本の大卒初任給程度ですが、倹しいながらも暮らしは豊かです。物価は安いですし、医療費が基本タダになるなど福利厚生もしっかりしていますので。」
「たとえば、いま住んでいる家は床面積100㎡程度。広い庭までついて月約8万円ですからね(笑)。すでにドイツ国内で5年間以上働いて税金を納めたので、外国人の私も永住ビザを取得しています。」
(「ドンジョバンニ」主役)
「2010年からは、ご縁あって東ドイツの小さな町・ツヴィッカウの市立劇場と専属契約をしています。毎年、新作を4本、1年に6~7種類の役を演じながら、年間60~70回もの公演を続けています。プロの歌手として、高次元のパフォーマンスを毎回維持していくのは大変ですが、充実した日々を送っています。」
(プロ野球の試合前に国歌独唱・東京ドーム)
「昨年(2016年)には、福岡ソフトバンクホークスの試合前の国歌独唱のために一時帰国しました。3万人以上の観衆を前に歌えたのは、一生の思い出です。これは、榊ゼミの1年後輩からのご縁でした。」
(ワグネルの第142回定期演奏会・東京芸術劇場)
「また今年(2017年)は、慶應ワグネルの定期演奏会に呼ばれての一時帰国でした。25年前にこの定期演奏会で自分が歌った曲を、またこの場で歌わせて頂けたのには、運命的なものを感じました。93同期のみなさんもたくさん会場まで駆けつけてくれて、本当に光栄でした。」
(たくさんの93同期が応援に集結・2017年11月)
これからは?
(「ラ・カージュ・オー・フォール」・ジョルジュ役)
「いま自分のある位置を大切にして、それをさらに積み重ねて行きたいですね。正に『一所懸命』の心境です。」
(「オズの魔法使い」・案山子役)
「私はもっと有名になってやろうとか、もっと大きな舞台に立ってやろうとか、大きな野望には意味を見出しません。一人の芸術家として純度の高いパフォーマンスに専心するのみです。」
「お陰様で2010年にドイツ人の女性と結婚し、2012年には長男も授かりました。これからますます頑張らないといけません。とはいえ、劇場との契約は1年ごと。厳しい世界です。プロの宿命ではありますが、本当に毎日の公演が真剣勝負です。」
93同期へのメッセージ
(近影)
「卒業25年を迎え、慶應のみなさんとの再会や新しい出会いに感動しています。世界中いろいろな分野にいる同期のみなさんの活躍が僕の励みでもあります。僕もドイツでがんばります。同期にこんな奴がいたなと、たまに思い出してもらえれば嬉しいです。ドイツにいらした時は、ぜひ声を掛けてください。そして、劇場にも観に来てください!(笑)」
【 編集後記 】
今回の取材にあたっては、彼が一時帰国した折の多忙な中、蒲田のとんかつ屋にお誘いした。ドイツでオペラ歌手をやってるんだって?! へぇ、そうなの、すごいね。て、そんなもんじゃなかった。世界中から天才級の歌手が”そこ”を目指してやってくる。分かりやすく野球界に例えるなら、そこはオペラ界のメジャーリーグと言っても過言ではない。まさに『イチロー』級の天才がしのぎを削る世界だ。その境地で、アジア(日本)人の、慶大卒の(音大卒じゃない)彼が、大学卒業後25年を経た今も輝き続けている!われわれ同期にとって、これ以上刺激的なエールがあるだろうか。(取材・編集:馬場雅敬)
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