こんなところに93同期!?【第9回】高村 正大君
【 第9回 】高村 正大君
衆議院議員・自由民主党広報戦略局次長
高村 正大(こうむら まさひろ)
1970年 山口県徳山市(現・周南市)出身
1994年 慶應義塾大学商学部卒業、政治学科に編入
1996年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、電通入社
2008年 電通退職後、父・高村正彦(当時外務大臣)の秘書官就任。
2017年 第48回衆議院議員総選挙に山口1区から立候補し初当選。
昨年(2017年)自民党公認で山口1区から立候補し初当選。親子3代にわたり国会議員。それまで9年間、秘書として父・高村正彦氏(現 自民党副総裁)を支え続け、満を持して登場した政界のホープ。1993年三田会・卒業25年事業では大同窓会の実行委員長を務める。
【自由民主党HP】
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生い立ちは?
(子どもの頃・茨城でいとこと)
「生まれ育ったのは東京都武蔵野市ですが、子供の頃の思い出と言えば山口(父方の田舎)や、茨城(母方の田舎)によく預けられて、周りの田んぼや池で遊びまくっていたことです。まさに『あばれはっちゃく』みたいなガキ大将でした。(笑)」
「どっちかというと、よく行っていたのは母方の茨城の方で。自分が懐いていた母方の祖父が医者だったこともあり、小学生の頃の作文では『貧乏な人でも無料で診てあげる医者になりたい』と書いていました。」
「私が小3の頃、父が国政選挙で初当選しました。当時は中選挙区制で対象地域が広かったこともあり、地元での日々の活動は今よりも数段大変だったと思います。そのお陰か、子供のころに父親と過ごした思い出があまりなくて。一緒に映っている写真も1枚もないくらい。(笑)」
(塾高の卒業アルバムより)
「塾高時代は空手部でした。当時は結構強かったですよ。今はすっかりおとなしいですけど。(笑)」
(昭和61年秋季大会・日吉蝮谷道場)
「今でも忘れられないのが、この世のものじゃないくらいのシゴキ。。詳しい説明は省きますけど、俗に言う『まわし』『ケンケン』『サンドイッチ』とか。 あれは、1,000万円もらっても二度とやりたくないなぁ。生意気な高村には一杯やらせてあげようという優しい先輩方にも恵まれました。 (笑)」
大学時代は?
(1992年|商学部・新田ゼミ)
「大学は、まず商学部に入学しました。ただ、自分の進路をよくよく考えた時、将来は人の役に立つ政治の世界に進みたいと考え直したんです。それで、商学部を一旦卒業した後、法学部の政治学科(3年次)に学士編入しました。」
(スキーのインストラクター仲間と)
「大学時代の思い出といえば、とにかくスキーです。当時はバブルで、スキーが流行ってましたしね。自分で滑るだけでは飽き足らず、インストラクターのバイトまでやってました。」
(スキーのインストラクター時代)
「毎年12月中旬から3月くらいまで、長野県白樺湖のスキー場でインストラクターのアルバイトにはまってましたね。楽しかったなぁ。当時は、女子だけでなく子供や年配の方にもけっこうモテたっけなぁ。個人レッスンが指名で入ったりして。雪山に篭ってたお陰で、商学部の2年生を2回経験することになったんですけどね。(笑)」
在学中に父の秘書官も経験
(1994年頃・経済企画庁長官の視察に同行)
「政治学科に編入した年に、父が村山内閣で初入閣(経済企画庁長官)しました。将来のためにもなるということで、秘書官として父の仕事をサポートすることに。政治学科の学生としては、またとない経験をさせてもらえました。」
卒業後は?
(電通時代のプロジェクトで)
「入社当初、新聞局の地方部に配属されました。その後、営業局も経験して、また新聞局に戻ってきたり。何だかんだ言いながら結局、電通には12年間お世話になりました。」
常に120%を目指す!?
(電通時代・宴会シーン)
「いま、働き方改革とかが話題になってますけど。電通時代は、とにかくよく働きましたね。仕事も遊びも常に120%を求められる風潮があって。」
(電通時代・忘年会?!)
「先輩や上司からのシゴキにも似た指導にひたすら耐え抜くというか。そういった意味では、塾高空手部時代の経験が役に立ったのかもしれませんね。(笑)」
父(外務大臣)の秘書官に就任
(外務大臣秘書官時代)
「2008年に父が外務大臣に就任することになりまして。そのタイミングで電通を退職し、外務大臣秘書官として外務省の大臣室で仕事をしました。ただその年の夏に政権が民主党に移ることになって。そこからは、高村正彦事務所の一秘書として勤めて参りました。」
(外務大臣秘書官として父・正彦氏の会食に同席)
(地元・山口での活動風景)
「2008年から2017年まで、かれこれ9年間、秘書として父を支えてきました。月の半分は基本、地元回り。地元の敬老会、勉強会、地域活動、式典参加、スポーツ大会の挨拶、イベント参加、被災地への視察など。のべ15万人を超える方々とお会いさせていただきました。」
「中には、東京から来た若造がと、名刺も受け取って頂けない方もいらっしゃいましたが。ただ、愚直に、地道に、多くの人と会って、人々の声を聞く。それが、私の政治家としての原点です。」
2017年9月・父引退 → 出馬
(出馬表明の記者会見)
「2017年9月25日、安倍首相が衆議院解散の記者会見をする前に、父が安倍総理にお会いして議員を引退したい旨を直接伝えました。そこから、私の国会議員としての選挙本番がスタートしました。選挙ポスター用の写真撮影とかリーフレット作りとか、もう目が回りそうでした。(笑)」
(地元・山口での選挙演説)
(地元・山口での選挙活動)
「選挙期間としては2週間、精一杯頑張りました。体重も5キロ減りましたしね。(笑)」
(テレビの選挙特番で「当確」の瞬間)
「秘書時代に、挨拶まわりで のべ15万人を超える方々とお会いさせていただいてきましたし、保守が強い地元ではあるんですけど。テレビの選挙速報で当確が出ても、実際の票が開くまでは、やっぱり緊張しましたよ。93同期のみなさんのご声援も本当にありがたかったです。」
(地元の選挙事務所にて)
これからは?
(国会に初登院)
「お陰様で、2017年11月1日、衆議院議員として国会に初登院いたしました。」
(国会議事堂の前で)
「これからは、国政を担う政治家として、日本の未来の基礎作りに一刻も早く着手していきたいと考えています。」
「困っている人を放っておけない」
(国会での初質問)
「当たり前ですけど、いま本当に忙しい。政治家って、やる気があればあるほど忙しいわけです。」
(議員会館での執務風景)
「生来、『困っている人を放っておけない』という性格なんです。みなさんに支えられて、国会議員になった以上、出来ることは何でもやる!この初心を忘れずに精進してまいります。」
93同期のみなさんへ
(二郎のおやっさんと・ラーメン二郎三田本店)
「卒業25周年の今年度、大同窓会までに、ラーメン二郎三田本店で25杯食べるという目標を設定しましたが、新年早々に達成してしまいました。さて次なる目標は何杯にしましょうか。(笑)」
「二郎を食べながらおやっさんと挨拶を交わし、93三田会のTシャツとか、初当選した際に同期のみんなからもらった寄せ書き入りの黄色いTシャツを着て、足繁く通っております。もし見掛けた時は、気軽に声を掛けてくださいね。」
大同窓会でお会いしましょう!
「一人でも多くの同期の皆様に大同窓会に参加していただけるように裏方としてお手伝いさせて頂いております。皆さまお誘いの上奮ってご参加ください。それでは、3月24日にザ・プリンスパークタワー東京でお会いしましょう!」
【 編集後記 】
年末の特別国会が閉会した後の間隙を縫って、議員会館の彼の部屋にお邪魔した。実は、彼とはちょくちょく顔を合わせるのだが、正面向かいあって生い立ちや仕事の話をちゃんと聞くのは初めてだった。思い返せば昨夏、衆議院の解散は当面ないだろうとの観測から、大同窓会の実行委員長を彼が引き受けてくれたものの、急転直下選挙となり、今や国会議員に!多忙な中、大同窓会の案内状作りや会場(ホテル)との打ち合わせも彼本人がマメにやる。もうそんな場合じゃないだろう?いいや、引き受けた仕事は最後までやり抜くんだと。彼はそういう奴なんです。(取材・編集:馬場雅敬)
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