【第10回】伽藍 典子君 – 慶應義塾1993年三田会

こんなところに93同期?!

【第10回】 伽藍 典子君

【第10回】伽藍 典子君

【 第10回 】伽藍 典子君


舞台女優、尚美学園大学 芸術情報学部 舞台表現学科 准教授
伽藍 典子(伽藍 琳)

1970年 東京都生まれ
1989年 慶應義塾女子高等学校卒業
1993年 慶應義塾大学文学部仏文学科卒業
1993年 大学卒業後より本格的に舞台女優として活躍
2015年 尚美学園大学の舞台表現学科新設に伴い准教授に
女子高時代から、数多くのミュージカルや演劇などに出演。大学卒業後は、主にフリーランスにて、ミュージカル作品の演じ手・創り手として活動。並行して2015年からは、尚美学園大学で後進の指導・育成にもあたっている。いまや日本屈指のバイプレイヤーであり、舞台芸術界に欠かせない人物に。
【伽藍 琳HP】
https://garanlin.com/

生い立ちは?

芝居の原体験は幼稚園の時


(子どもの頃・自宅で衣裳を着て)

「幼稚園の頃、イエス誕生のお芝居で語り部の役を演じました。台詞がとても多い役だったんですけれど、お芝居するのがすごく楽しいと感じたんです。それが、私にとっての芝居の原体験だったと思います。」

ピアノとクラシックバレエ

「母が音大の声楽科出身だったこともあり、3歳からピアノを習い始めました。」

「また、小2の頃、トゥシューズに憧れて自分から両親に頼み込み、クラシックバレエも始めました。でも念願のトゥシューズを履いて数年で、自分はプロのバレエダンサーになれない、と気づいてしまって。」

「クラシックバレエは生まれ持っての骨格、バレエに適した身体的条件がプロになれるかの第一関門なのですが、趣味でならいくらでも続けられたのに、趣味で踊るだけじゃ嫌だったみたい(笑)、生まれて初めての挫折でした。踊りは続けたい。バレエを活かして舞台に立てる方法…と、小学生なりに考えていた時に出逢ったのがミュージカルでした。」

「劇団四季」の影響

「小6の時に初めて劇団四季を観て以来、ミュージカルの虜になりました。」


(劇団四季『コーラスライン』パンフレット)

「中でも、中2の時に観た『コーラスライン』が私にとってのバイブルとなり、舞台演劇の世界に入る一つの大きなきっかけになりました。」

慶應女子高の「十月祭」に憧れて

「3つ年上の姉が通っていた慶應女子高の『十月(かんな)祭』を観に行った時のことです。恒例の前夜祭劇(クラス対抗演劇コンクール)が本当に凄くて、感動して!私も絶対に慶應女子高で、あれをやる!という執念で(笑)、頑張って女子高に入学しました。」


(「十月祭」でクラスメイトたちと)

「慶應女子高では、念願の前夜祭劇に向けて、毎年クラスメイト達と必死で頑張りましたし、あの頃の楽しかった思い出は今でも忘れられません。」

高1で「舞台芸術学院(夜間)」に入門


(舞台芸術学院の卒業公演で)

「舞台への情熱は、学校の文化祭だけでは収まりきらず。実は、慶應女子高に通いながら、池袋にある『舞台芸術学院』という専門学校にも高1の時から通い初めまして。学校帰りの夜間にミュージカルを学んでいました。」

女子高スケート部にも在籍


(品川プリンスにあったスケートリンクで)

「女子高のスケート部にも所属していました。放課後に週3回くらい(当時あった)品プリのスケートリンクで練習していました。私が演劇にばかりのめり込まないようにとの家族の勧めもあって。(笑)」

大学時代は?

ミュージカルサークルを創設


(1990年・三田祭でのお披露目公演)

「大学2年の時に、仲間達とミュージカルサークル『STEPS Musical Company』を立ち上げました。出演はもちろん、脚本・作曲・演出・振付などのスタッフも全て学生が行い、オリジナルミュージカルを一から創って上演していました。」

「本当は三田の授業に出ているはずの時間、日吉の学生会館で歌ったり踊ったりしていることは…多々ありました。(笑)」


(1991年・学外の劇場を借りてのSTEPS旗揚げ公演)

「この頃、手探りで覚えたスタッフワークのノウハウは、実はその後の仕事にすごく生かされているんです。」

舞台活動との二足のわらじ

「大学3年の頃からオーディションを受けて外部の舞台にも出るようになり、主に『劇団東少』の子供向けミュージカル作品に出演していました。経験の乏しい俳優も積極的に使ってくれる劇団で、何百人を前にしての初めてのソロ歌唱も、初めての旅公演も、この劇団が経験させてくれました。」

「4年生の時は、東京での公演や地方巡演まで含めると、全国で年間100ステージ近い演劇活動をしていましたし、歌やダンスのレッスンにも通っていたので、やや大学の授業が疎かになっていたことは否めません。」

必修科目で出席不足!?

「それで、必修科目だったフランス語の原典講読の出席数が、いよいよ足りず。留年の危機に直面したことがあったんです。」

「実はその時、思いがけずクラスメイト達が、私が舞台活動で一生懸命なこと、またそれは仏文学と無縁ではないことなどを(屁理屈も含めて)熱心に先生に掛け合ってくれて。友人達のその行動に私は感涙、つられて先生もホロリ。その後、先生が私に課したレポートをクリアすることで、何とか卒業に繋がる試験を受けるチャンスを頂けました。」

「その時のクラスメイトにはいまだに感謝しています。彼らがいなければ、私は留年せず中退していたと思うんです。慶應の同期は、私にとって本当に大切な存在です。」

松原秀一ゼミ


(松原秀一ゼミ・伽藍さんは写っていない)

「フランス文化について研究する20名くらいのゼミでしたが、私はゼミでさえあまり出席していませんでした。恐縮しながら中間発表に顔を出し、卒論のテーマにしていた、その頃興味があったこと(フランスのレビューがどうオペラと結びついてアメリカに渡り、ミュージカルとなったか)を熱く語ったところ、先生に『本に書いて出すといいよ』と仰っていただいたこと、いまだに忘れられません。」

卒業後は?

舞台女優としての日々

「卒業してすぐに入ったミュージカル事務所が、すぐに解散になって。」


(1995年頃・高橋亜子主宰「ザ・コア・システム」のメンバーと)

「それからは、自分の将来は自分で決めようと腹をくくったんです。フリーランスで生きていこうと。20代前半は片っ端からオーディションを受けました。が、落ちまくった。(笑)100回受けて1回受かれば良い方なんですね。」

「不合格でも自分そのものを否定されたわけじゃなく、あくまで作品や役柄と合わなかったからと自分に言い聞かせて、次を見つけます。お陰で相当タフになりましたが、今でもオーディションを受けることはあって、でも落ちるとやっぱり凹みますね。」


(1999年・NHK教育『あいうえお』)

「受かるオーディションは、演技した段階で手応えが違います。これもご縁ですよね。」

「歌や踊りの技術と容姿は審査の大きなポイントですが、採る側も受ける側もこれから一つの作品を一緒に創ろうとする同志なのだから、最終的にはフィーリングなんだ!ということが、30年近くこの仕事をしてきてやっと実感できます。この役が欲しい!絶対受かりたい!と思って受けると落ちる。あなたと一緒にこの作品を創りたいんです〜!というオーラ全開で受けると、わりと受かる。(笑)」


(2004年・前田清実主宰「ドラスティックダンス“O”」新国立劇場公演 楽屋にて)

「基本はフリーランスですが、創りたい舞台の方向性が同じ人達とのユニットで、創作活動をしていた時期もあります。社会派ストレートプレイの演劇集団『ザ・コア・システム』での活動が8年間、コンテンポラリーダンスの『ドラスティックダンス“O”』では7年間。今でもそれぞれのメンバーとは深く繋がっていて、情報交換等マメにしています。」


(2012年・『スペリング・ビー』シアターブラッツ 舞台写真)


(2013年・『アンナ・カレーニナ』名鉄ホール 舞台裏にて)


(2017年・『紳士のための愛と殺人の手引き』 楽屋にて)

尚美学園とのご縁


(大学での演習風景)

「2013年の大みそかに一本の電話が鳴りました。昔、お仕事でお世話になった方からの久しぶりの連絡でした。尚美学園大学が、2015年から舞台表現学科を新設することになり、専任教員を探していると。そのお声掛けでした。」

「それまで、ずっと舞台の人間でしたので、教育の道だなんて思いもしなかったお話でしたが、舞台表現の世界で何かまた新しい一歩になればと前向きにとらえ、お引き受けさせて頂くことにしたんです。」


(大学での演習風景)

「大学では、これまでの経験を通して得たものを、少しでも学生たちにお伝えできればと。これからの日本の舞台芸術をリードする若手の育成に微力ながら尽力しています。」

「どんな舞台芸術を追求するにしても、声と身体を使って表現するという基本に変わりはありません。そして、その基本に、確かな知識や技術、理論や教養が備われば、人を感動させる新たな表現を創造していくことに繋がるのではと考えています。」

これからは?

教育者として、一表現者として


(尚美学園大学の研究室にて)

「幸いなことに、私が続けさせて頂いている学外での舞台活動も、舞台表現の研究活動として、大学側から正式に認められております。」

「舞台芸術の教育者として、後進の育成に務めていくと同時に、私自身もまだまだ輝けるように一表現者として努力してまいります。」

ミュージカル映画に出演


(ミュージカル映画『とってもゴースト』に出演)

「これまで舞台ばかりでしたが、この歳で初体験をしました。映画出演です。音楽座ミュージカル『とってもゴースト』が角川裕明監督によって映画化されます。 2018年1月にクランクインし、私は地縛霊!「塊様(かたまりさま)役」で出演しています。公開は2018年夏。よろしければぜひ、ご覧になってください。」

舞台演劇にも出演


(『女歌〜気位の高い5人のリハーサル〜』)

「今年度は東京で3つの舞台出演が決まっています。」

・早稲田大学のミュージカル団体Seiren出身の20代才女が作・演出する『女歌〜気位の高い5人のリハーサル〜』(4月13日〜15日)
https://garanlin.com/post/171015718664/onnauta

・ブロードウェイミュージカルの女性デュエットを特集、一本のミュージカルに仕立てる『LOVE & LIFE』シリーズ(6月28日)
https://witchingbanquet.wixsite.com/wblive39

・オリジナルミュージカル『夢の続き』再演(2019年3月28日〜4月1日)
http://yumenotsuzukimusic.wixsite.com/yume-official-web

「よろしければぜひ、今後の動向にご注目頂き、お誘い合わせてお越し頂ければ幸いです。」

93同期のみなさんへ

良き仲間として

「大学時代はキャンパスにマメに通っていた方ではありませんでしたし、どちらかというと学外での舞台活動に夢中になっていたことを、今少しだけ後悔しています。もっと大学生の時に、みんなとの思い出をたくさん作っておけば良かった。」

「ただ、そんな私でも女子高・大学時代の同期達はちゃんと記憶していてくれて、会えばいつも応援の言葉をかけてくれる。学生時代の友人あっての今の私だと、感謝せずにいられません。」

「今、25周年でこうしてみなさんと連絡が取れることをとても嬉しく思っています。慶應義塾のこの不思議な輪に、心から感謝します。」

「みなさん、大学卒業後はそれぞれの道を歩み、きっと笑いあり、涙あり、いろいろあったはず。みなさんのお話を私もたくさん聴きたいです。ぜひこれから先の人生でも良き仲間として、繋がっていきたい。どうぞ、よろしくお願いいたします。」

【 編集後記 】

今回の取材で彼女の大学に伺ったのは、首都圏が大混乱したあの大雪の日だった。その日初対面だった彼女の第一印象は、寒さのせいかやや堅く小柄で物静かな感じ。まだ舞台上での姿は想像すらできなかった。ただ、授業でダンスの手本を学生に見せ始めた途端に、彼女は別人のように変わった。目の輝き、手指のしなやかさ、全身の躍動感。そこにいたのは、まさに舞台女優・伽藍琳だった。(取材・編集:馬場雅敬)

 

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