【第7回】久松君 – 慶應義塾1993年三田会

こんなところに93同期?!

【第7回】 久松達央君

【第7回】久松君

【 第7回 】久松 達央 君


株式会社久松農園 代表取締役
久松 達央(ひさまつ たつおう)

1970年 茨城県出身
1994年 慶應義塾大学経済学部卒業
1994年 帝人株式会社入社
1998年 同社退社後、1年間の農業研修
1999年 独立就農
年間50品目以上の旬の有機野菜を露地栽培し、都内の一流レストランをはじめ飲食店や契約消費者に直接販売。スカイプ、SNSなどを駆使するソーシャル時代の新しくて独自性のある有機農業を展開。有機農業がまとう曖昧なイメージをばっさりと斬る論理的な見解が好評を博し、大学や農業関係者からの講演依頼も多い。自治体や小売店と連携し、補助金に頼らないで生き残れる小規模独立型の他農業者の運営サポートも行っている。著書に『キレイゴトぬきの農業論』(新潮新書)『小さくて強い農業をつくる』(昌文社)
【久松農園HPページ】 http://hisamatsufarm.com/

生い立ち

茨城生まれ、小学3-6年はベルギー


(子どもの頃)
「私は、ここ茨城で生まれ育ちました。」
「小学校3年生~6年生の間は、大手建機メーカーの技師だった父の転勤でベルギーで暮らしました。」
 
中高時代は茗溪学園


(後列右から1番目:茗渓学園高校3年時のクラス写真)
「中学・高校は、帰国子女も受け入れている茗溪学園(茨城県つくば市)に進みました。」
「花園に20回以上出場しているラグビーの強豪校でもありますが、茨城県下では有数の進学校でもあります。」
 

大学時代は?

スカッシュ・サークル


(スカッシュサークルの仲間と)
「大学時代は、スカッシュのサークルに入っていました。立教大とのインカレで、よく深沢にあるスカッシュコートに通っていましたね。」
 
細田ゼミ


(学生時代)
「ゼミの細田衛士先生には大変お世話になりました。先生の指導がなければ、文章を書くことなどなかったかもしれません。卒業後も大きな迷いがあると、先生に会いに行きました。農業を始めるときも会いに行って、背中を押してもらいました。」
 
わざと留年し4年生を2回
  
「実は、大学4年生の時、何となくこのまま卒業したくなくて、留年するためにわざと単位を落としました。確信犯です。親には事後報告でした。死ぬほど怒られました。 だから、私の実際の卒業年は1994年なんです。」

卒業後は?

帝人に入社
 

(帝人大阪本社・当時)
「素材メーカーで技術的な営業がしたくて帝人に入社しました。大阪本社の繊維素材事業部に配属され、高機能アラミド繊維の輸出担当をしていました。」

「仕事の基礎に対する指導は厳しくて、かなり鍛えてもらいました。取引先に送る英文FAXなどは、全体が真っ赤になるくらい赤字を入れられるとか(笑)。ただ感謝しているのは、仕事から逃げないとか、仕事は『ちゃんと』しなくてはならないといった社会人としての矜持を学ばせて頂いたことです。」
  
大企業での違和感

「新規事業で海外のマーケットに斬り込んでいくのは、やりがいのある仕事でした。ただ、次第に老舗大企業ならではの動きの遅さとかに嫌気が差すようになったり。会社員としての立場や働き方への違和感を拭えずに、だんだん気持ちが会社から離れるようになってきたんです。」
  
人間らしさを求めて
 

(アウトドア遊びとかの写真)
「大阪でのサラリーマン時代、アウトドアにはまっていて、あちこちに出掛けてはキャンプや川遊びをしていました。都会から逃げたかったという気持ちもあったんだと思います。そこに関連した環境保護運動、民俗学などに次第に心を奪われるようになって。田舎暮らし関連の本を読んでは、自分が求めているものはこれだと心躍らせたり。そんな中に農業との出会いがあったんです。」
 
当時の世の中の閉塞感
 

(1995年1月阪神大震災)
「僕がサラリーマンをしていたのは94年から98年。バブルが崩壊し、長い不況が始まろうとしていた頃です。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が発生したり、地球環境問題の深刻さが次々と明らかになって、世の中が出口の見えない閉塞感に覆われていました。就職活動というゲームを経て会社に入ってみたものの、このまま一生この暮らしを続けるのだろうか、という思いを徐々に抑えられなくなりました。そういう思いが田舎暮らしへの憧れという形で顕在化したり。よくいえば生き方の模索、悪くいえば現実逃避です。」
 
農業体験プログラム


(イメージ)
「この頃から、農業を仕事として意識しはじめて、週末や大型連休などを使って、農業体験プログラムなどに参加するようになりました。手当たり次第に農業関連の本を読み漁るうちに、学生の頃から関心をもっていた環境問題と農業が深く結びついていることを知りました。意義のある仕事がしたい、そんな思いが強くなり、農業の憧れに具体性が増しました。」
 
有機農業との出会い


(イメージ)
「環境への問題意識、現代文明への疑問、都会への嫌悪、シンプルな生き方志向、学歴が通用しないフェアな世界への憧れ。そういう霧のようなモヤっとした憧れに『実体』を与えてくれたのが有機農業でした。ただ田舎暮らしがしたいでは通りが悪いけど、有機農業という大きなテーマを説けば周りも納得するだろう。無意識にそんな計算もあったかもしれません。周囲の反対の声には耳をふさぎ、なかば無理やり農業研修を始めるべく会社を辞めました。28歳の時でした。」 

農業への転身

1年間の農業研修


(イメージ)
「会社を辞めた後、地元茨城の農業法人で研修させてもらったのですが、畑仕事、デリバリー、事務作業など仕事ごとに分業化が進んだ農家で私はほぼ1年間事務作業ばかりでした。結局、農家としては初心者のまま研修は終了し、十分なスキルを身につけないまま独立することになりました。」
 
独立就農 ~ 茨の道


(イメージ)
「借りた土地を開墾するところからのスタートでした。いろいろなものを少しずつ蒔くのですが、もう失敗失敗の連続で。自分には小農家の『経験(スキル)も勘(センス)』もない、本当は農家に向いていないと嫌というほど思い知らされましたね。失敗談は星の数ほどありますので、またべつの機会にでも(笑)。」
 
経験も勘もないからこそ言語化
 

(久松農園の1コマ)
「でも僕は農業を続けたかった。負けず嫌いだから、向いていないことが明らかでも、やめたくはなかった。農業の世界で自分が負けないためには、言語と論理という自分なりの武器が絶対に必要だと悟りました。端的にいうと 『経験(スキル)も勘(センス)』 を自分なりの言語と論理でノウハウを共有していくことで、何とか今日までやってこれたという感じです。 」
 
有機農業3つの神話


『キレイゴトぬきの農業論』
「有機農業は安全、有機農業は美味しい、有機農業は環境にいい、という認識が広く支持されています。しかし僕は、いずれも事実に反すると思っています。この有機農業3つの神話についての詳細は、拙著『キレイゴトぬきの農業論』をご参照ください(笑)。」
 

これからは?

小さくて強い農業を目指す
 

(久松農園の有機野菜たち)
「いま久松農園は、6ha(ヘクタール)ほどの小さな畑で年間50品目以上の旬の有機野菜を露地栽培し、飲食店や全国の契約消費者に直接販売する、というちょっと変わった経営スタイルを取っています。」
 

(農園スタッフのみなさんと)
「農園をコンパクトなサイズに保ち、生産から販売までを一貫して手がけることが、環境の厳しい農業界での自分たちなりの生き残り策です。 お客さんには深い喜びを味わってもらい、自分たちは好きな仕事でメシが食える。これが自分たちの目指す『小さくて強い農業』です。」
  
これからも試行錯誤の繰り返し
 

(近影)
「農業のセンスもガッツもない僕は、自分を栽培者としては二流、経営者としては三流だと思っています。振り返ると、失敗の山また山。始めた頃はもちろん、昨年のことですら思い出したくない恥ずかしいことばかりです。これからも壁に当たり、そのたびにあがいて、情けない失敗を繰り返しながら生きていくのだと思います(笑)。 」
 

93同期へのメッセージ

やっぱり慶應にはオモシロイ人が多い


(近影)
「実は、在学中は『慶應』にあんまりしっくり来ていませんでした。というか、あんまり好きじゃなかった(笑)。当時は世の中に対して斜に構えていた部分もあったのかもしれません。しかし、いま振り返ってみるとやっぱり慶應にはオモシロイ人が多い。自分も慶應に行って本当に良かったなと。みんな全然違う経路を辿って、今また近いところにいたりして。いい仲間とめぐり会えたなと。いまなら素直にそう思えますし、素直に付き合えます。」

「あ、あと、みなさん、うちの野菜買ってください!(笑)」
 

【 編集後記 】

東京から車で1時間半ほど。久松農園に伺ったのは、ひどい雨の日だった。彼は「日本一話のうまい農家」として数多くの講演にも呼ばれるほど頭の回転が早く、ロジカルに、熱く農業を語ってくれた。笑える失敗談やユーモアも交えながら。自分には農業をやるセンスも根性もないとサラリと言ってのける。ただ、会話をしながら目をやった彼の手は、土のにおいがしてきそうなほど、ゴツゴツとして、日焼けした、農家のそれだった。まさしくそれはプロの手だった。こんな天才そうはいない、と思った。(取材・編集:馬場雅敬)
 

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