【第3回】大下容子君
【第3回】大下容子君
【 第3回 】大下容子君
テレビ朝日・アナウンサー
大下 容子
1970年 広島市生まれ
1989年 広島大学附属高等学校卒業
1993年 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
同年 テレビ朝日入社
1994年~1996年 『Jリーグ A GOGO!!』レポーター
1998年10月~現在『ワイド!スクランブル』メインキャスター
2002年1月~現在 『SmaSTATION!!』サブ司会
平日お昼は『ワイド!スクランブル』、土曜の夜は『スマステ』と週6日生番組出演という民放キー局アナウンサーとしては異例のハードスケジュールをこなす名実ともにテレビ朝日の看板アナウンサー。
【テレビ朝日・女性アナウンサー一覧サイト】
http://www.tv-asahi.co.jp/announcer/personal/women/
生い立ち
「私は、広島生まれの広島育ち。中学・高校時代はバレーボール部に所属していました。とにかく元気いっぱいのスポーツ少女でした(笑)。」
「たまに広島に帰った時は、やっぱりお好み焼きとか食べますね。実家は広島で内科医院をやっておりまして、今は兄が跡を継いでいるんですけど。」
「その実家のお向かいに『すーちゃん』という小さなお好み焼き屋さんがあって。それこそ地元のおばちゃんが一人でやっているような。そこがまたほんとに美味しいんですよ。だから、私にとってのザ・お好み焼きは 『すーちゃん』なんです(笑)。 」
学生時代は?
テニスサークル『フォーエバー』の合宿で
「学生時代は22時門限という女子学生会館に住んでいましたので、意外とまじめな学生生活を送っていました。やっぱり思い出と言えばテニスですね。」
「『フォーエバー』というテニスサークルに入っていました。当時はもう本当にテニスに夢中でしたね。とにかくスポーツが好きだったので。4年生まで続けましたから。 サークルのみんなと 神宮球場に慶早戦の応援にも行ったりもしましたよ。」
テニスに熱中していた頃
卒業アルバムより
「宮島ゼミは思い出深いですね。いまだに何人かの女子とは連絡取り合ったり、たまに会ったりしていますし。本当にいい仲間に恵まれましたね。」
「そういえば、法律学科のゼミナール委員会にも入っていました。
私は総務担当で実はあんまり何もやってなかったんですけど(笑)。みなさん元気かな?」
卒業アルバムより
就職活動
「実は最初は、アナウンサー一直線という訳でもなかったんです。アナウンサー養成所とかにも通っていませんでしたしね。だから、金融とかメーカーとか業種を問わずOB・OG訪問したりしていました。」
「実際、少し早めに始まっていたテレビ朝日のアナウンサープレ採用では最終選考まで進んだものの、結局一度落ちちゃってるんです。」
「そのプレ採用の過程で仲良くなっていた(後に同期入社となる)丸川珠代(参議院議員、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技 大会担当国務大臣)さんは先に受かってて。」
「そうこうしているうちにだんだん本気でアナウンサーを目指してみようかなという気持ちが強まってきて。それから自分なりにちゃんとアナウンサー採用試験の準備に取り組んでみようと思ったんです。」
卒業アルバムより
「で、幸運なことに何とかテレビ朝日のアナウンサー採用試験に合格することができたんです。」
「1993年入社組としては、丸川珠代さんの他に、坪井直樹君、角澤照治君がいて。 坪井君、角澤君は同じ慶應出身ですよね。新人4人中3人が慶應の同期なんて珍しいかも。たまたまなんでしょうけどね(笑)。 」
卒業後は?
「テレビ朝日にアナウンサーとして入社してすぐの新人研修で広島訛りを指摘されまして。自分としては大学時代の4年間を東京で暮らしていたので、すっかり標準語が板についていると思っていたんですけど。」
「1分間のフリートークで20箇所もアクセントの間違いを指摘されたりとか。それからしばらくは、アクセント辞典を肌身離さず訛りの矯正に必死でした(笑)。」
「私は、スポーツが大好きだったので、入社当初からスポーツ番組のレポーターを志望していました。私たちが入社した1993年と言えばちょうど『Jリーグ』が開幕した年でしたしね。」
「スポーツ番組を担当したいと言い続けていたら、翌年1994年4月から始まった『Jリーグ A GOGO!!』という番組でレポーター役を担当させていただけることになったんです。98年にはサッカー・ワールドカップのフランス大会、2000年にはシドニー・オリンピックにも現地レポーターとして行かせてもらいましたし。本当に幸運でした。」
平日ワイドショーの顔に
「そんな中、1998年に平日の情報・ワイドショー生番組『ワイド!スクランブル』の司会を仰せ付かることになりまして。それから気付いたら19年間ずっと担当させていただいております。結構長いですよね。」
土曜の夜はスマステ
「2002年1月からは土曜夜の生放送番組『SmaSTATION!!』(スマステーション!!、通称:スマステ)も担当させていただくようになりました。当時すでに平日お昼の生番組を担当していましたので、私もびっくりだったんですけど。この番組も気付いたら16年間、メイン司会の香取慎吾さんの横で楽しく続けさせていただいております。」
「基本毎朝4:30に起きています。6:00前には出社して、一応新聞全紙に目を通したり、朝の番組を見たり、メールをチェックしたりとか。で、一度朝7:00に会社近くのスポーツクラブに行ってストレッチとかで身体を整えたりしています。」
「で、会社に戻って8:30から番組の打ち合わせをして、いよいよ11:25から13:45までが『ワイド!スクランブル』の生放送です。放送終了後に反省会をして、14:30頃にお仕事終了って感じですね。」
「毎日22時には寝るように心がけていますので、平日の午後はあまり出歩くこともせず。 プライベートで時間が取れるとしたら、唯一金曜日のお仕事が終わってから土曜日の『SmaSTATION!!』までが少し余裕があるくらいでしょうか。お休みは日曜日1日だけなので、自宅でゆっくりするようにしています。」
これからは?
「これからは、ワークライフバランスも大事にしていきたいですね。どんな仕事でも同じだと思いますが、アナウンサーとしてはとにかく健康管理を大事にしています。気力も体力もなるべく一定に保つこと。帯番組では毎日同じテンション、スタイル、顔つきで視聴者の皆様の前に出られるよう気をつけています。そのためには心身ともに健康でいることが大切ですからね。」
93同期のみなさんへ
「卒業してあっという間に25年が経ちましたね。みなさんそれぞれに充実した時を過ごして来られたと思います。各方面でのみなさんの活躍が私の励みにもなっています。」
「慶應義塾には素敵な同期の仲間がたくさんいて本当にありがたいです。あらゆる分野で活躍している同期が助け合って、ますます充実した時を過ごして行けたらと思っております。みなさん今後ともどうぞよろしくお願い致します。」
【 編集後記 】
『ワイド!スクランブル』の生放送を終えた後の貴重な時間を割いて頂いた。彼女は、局アナとしては異例とも言える週6日生番組を長年続けている。それには並外れた自己管理能力が必要だろうし、きっと自分に厳しい人であるに違いない。 しかし、話している間ずっと私を含め同席したメンバー一人ひとりに気を配ってくれている彼女の仕草や気品が印象深かった。おそらく仕事現場でも周囲の関係者すべてに自然とそうしているのだろう。彼女は、テレビ番組で見る大下容子とまったく変わらない気配りと気品に満ちた大人の女性であった。(取材・編集:馬場雅敬)
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